乳と蜜

柔らか巡礼

煙の先の季節

 はっきりと事柄を明示しない文章を書くことが好きで、真夜中の仄暗い建物の中で目を凝らしても最後までは追えなかった副流煙の先をいつまでも探している。

 

 停滞を知らない感染者数のグラフと労働先の休業から生まれた孤独と、幾つかの選択肢の中から自由意志で掴み取り独り過ごす時間の隔たりは大きい。NZで暮らしていた町に地図上で帰省を果たしたり、やりもしないコントの台本を書いてみたりあれ程に毛嫌いしていた"生産性"という言葉に追従する私が現れて、部屋の真ん中で歯軋りをする間に日は暮れてゆく。

 

 手紙を書いてみようかと思う。ただ普段から感情の読み取れない、もしくは(そんな顔を実際にしているところを見たことがない)絵文字に依存した電子文が怖くて、大切な人たちには何かあれば絵葉書を送っていた。送る相手のいない手紙、私が1日で逃げ出したホテルの朝食会場で目を吊り上げていた紫色の口紅の女性、喫茶店で私が注文したドーナツを横取りした少年、南海トラフを南海トリュフだと思っていた出稼ぎ先の料理人。

 

 拝啓、特に好きでもない愛しい人たち、お元気ですか。