乳と蜜

柔らか巡礼

冷凍都市で出逢ったら

 闇金で借り入れたお金を握りしめ現れた錬金術師はその場にいた誰よりも笑顔で、マイナスから私のお別れ会を作り出す。3年前の夏の盛り、伊豆の山奥、従業員専用の喫煙所は岩場の陰に、それはまるでルルドの窟。墨汁を煮詰めたような労働環境で、15時過ぎにやってくる休憩時間に料理長と燻らせる赤マルが、唯一の楽しみだった。

 

 もう二度と会わない人のことを想いながら、一日が終わってゆく。4月末まで休業する美容室で坂本龍一にしてくださいと頼み、衿足に風を感じるようになった赤髪がくすぐったい。春の匂いを知る前に死を選んだ彼は、もう苦しんではいない。今年の私は湿る土から湧きあがる緩い風も、桜の花弁で薄桃色に染まる川もまだ見ていない。

 

 流行病は日常を撫でるように蝕んでいて、やらなければならないことはあるのにラーメンズのコントは台詞を覚えてしまった。卒業論文に向けて文献を読まないと、ヘブライ語を学ばないと、シンクの掃除をしないと、愛しい人にはきちんと想いを伝えないと。

 

 書は捨てない、町には出ない。