乳と蜜

柔らか巡礼

嘘しか言わない

 胸だと思っているものは実はお尻だった。夜にたゆたうのにちょうどよい京都の街に、鴨川は6本流れている。重い腰をあげた私は禁煙に成功した25歳のシス男性で、南国オランダに行くことを夢見ていた。牛乳は白い絵具と牡牛の涙が溶けているのではないか。蒸発したアルファベットの27番目には、家父長制の呪いがかけられている。鯨には脚が5本生えていて25年目の春に一斉に生え変わるらしい。そして私は毎日25時間の午睡をとる。ヘブル文字を反転させると平仮名になると私に教えてくれたのは、緑がかった肌をした年の離れた姉だった。

 

 狐の毛皮を被り家賃の回収にくる大家さんは、サンスクリット語で「優しい鰐」という苗字。彼女は鱗を集めるのが趣味で、ペットの錦鯉を狙っている。テレワークのストレスで頭痛持ちになった僕は、浴槽に放たれた錦鯉に挨拶をする。京都の街には夏になると小鬼が跳ねる。イズミヤに入荷した蚊帳は、彼らを中に入れないために網目にはシナモンのスティックを挿すようにと注意書き。

 

 知恵の林檎の大量出荷が遺伝子組み換えにより可能になったと、彼女が新聞から顔を上げる。酸性雨は美容によいからと貯水タンクは連日Amazonで入荷待ち。好みのわかれる香りが漂う網の外には、恨めしそうな顔をした小鬼たち。その後ろにはやけに獣臭い大家さんがいた。私は途方にくれて明日までの眠りにつく。

 

 みんな嘘しか言わない。

アフガンハウンドには情操教育を

  1人前120gの指示を疑うところから始めてみた。20時の簡易キッチンで茹でる蕎麦は、もしかしたら私には義務でしかないのかもしれない。(生きるために食べるの?食べるために生きるの?)結局90gにしてもお腹はかなり苦しくて、これまで掃き捨ててきた感情と手を繋ぎ、夜の路を歩く。

 

 商店街へと続く道に観葉植物を売る店がある。黄色みのかかった緑の上に覆い被さるそれよりも濃い緑、そしてそれを包む闇より深い緑、いつか植物に全てを呑まれそうな店。橙色のガラス越しに、八角蓮と目があった。

 

 商店街が怖い。その地で脈々と根を張る何世代もの凝縮した生の営み。流れ着いてこの地にやってきた、そしてまた数年のうちに出てゆく私。連なる店から喧騒が漏れだすたび、湧きあがる疎外感は足をアパートへと向かわせる。

 

 22時の暗がりで八角蓮は、葉の中央に溜まった水の玉を転がし笑う。以前より大きな鉢の中、ケラケラと。

 

 散歩からの帰りしな、この町で植物を育てようと決めた。

Y字路の鼓笛隊

 隣家では木琴の柔らかな音が浮き沈みを繰り返していた。もうこんな曲はやりたくない、と姿を見たことのない隣家の少女が力任せに鍵盤を叩いたのは3日前の昼下がり。彼女の曲のレパートリーが増えるたび、今のアパートへ越してきてから流れた月日の膨大さに目眩がしてくる。4年目の初夏、彼女は初めて自らの言葉を舌にのせた。木琴の音色は床に放たれた太い絨毯のロールのように、どこまでもどこまでも広がってゆく。ベランダにいる私は、これまでと同じように煙草に火をつける。

 

 やったところで罰せられるわけではないのに、私はもうおもちゃ屋の床と共謀してシルバニアファミリーの緑の家がほしいとは泣かないし、ショートケーキに巻かれたセロファンを挑発的に舐めたりもしない。Zoomで見知らぬ人たちの視線が一斉にこちらを射るのが怖くてそっとビデオカメラをオフにしたり、山椒を噛んでしまって気分が悪くなり一晩中遺書を書く癖に、他者からの評価に対しては22年間の信頼と実績で応えようとしている(中川家の"地方の中小企業のテレビCMの物真似"はかなり面白いし私がどうして彼らを今思い出したかわかるはず)。

 

 木琴を打ち鳴らす少女が、私の部屋のあらゆるものをめちゃくちゃに叩いてくれないかなと思いながらもう一本煙草を吸った。

一方的書簡①

 合格祝いにタイ料理を食べたあとに入った地下の喫茶店で私の注文したドーナツを横取りした少年へ

 

 混乱と陰鬱の分厚い雲が私たちを覆う春が来てしまったけれど、お元気ですか。ネット上であなたが大学を去ったことを知りました、哲学と煙草は今でも好きですか。いつか3人で会いましょうと話していた彼女は、今は故郷で書店員をしているそうです。曖昧な表現をしたのは、連絡を取らなくなって今月で1年が経ったから。彼女が自ら死ぬことを選んだ気がして、私にはどうしても連絡をする勇気が湧きません。私の中の彼女は駅前の大きな書店で、大好きな語学書たちを棚に並べています。

 

「そのときなら生死を隔てる敷居をまたぐのは、生卵をひとつ呑むより簡単なことだったのに」

 

 『色彩をもたない多崎つくる』を最初に読んだとき、私はこの言葉のリズムが気に入って、何度も舌先でころころと転がしていました。あなたの前でも少し得意げに誦じてみせた気がします。今の私は最後の方でつかえてしまいます、一息にはもう言えません。

 

 今日で禁煙を始めて2週間です。ヤニの匂いの染みついた、赤いビロードのソファに深く身を任せて煙草を燻らせたくて堪りません。部屋の隅に転がっていたマッチには、あなたと行った地下の喫茶店の名前がありました。

 

 今までもこれからも、あなたの進む先に光が溢れますように。

 

 追伸:どうしてあのとき私のドーナツを黙って食べたのですか。

煙の先の季節

 はっきりと事柄を明示しない文章を書くことが好きで、真夜中の仄暗い建物の中で目を凝らしても最後までは追えなかった副流煙の先をいつまでも探している。

 

 停滞を知らない感染者数のグラフと労働先の休業から生まれた孤独と、幾つかの選択肢の中から自由意志で掴み取り独り過ごす時間の隔たりは大きい。NZで暮らしていた町に地図上で帰省を果たしたり、やりもしないコントの台本を書いてみたりあれ程に毛嫌いしていた"生産性"という言葉に追従する私が現れて、部屋の真ん中で歯軋りをする間に日は暮れてゆく。

 

 手紙を書いてみようかと思う。ただ普段から感情の読み取れない、もしくは(そんな顔を実際にしているところを見たことがない)絵文字に依存した電子文が怖くて、大切な人たちには何かあれば絵葉書を送っていた。送る相手のいない手紙、私が1日で逃げ出したホテルの朝食会場で目を吊り上げていた紫色の口紅の女性、喫茶店で私が注文したドーナツを横取りした少年、南海トラフを南海トリュフだと思っていた出稼ぎ先の料理人。

 

 拝啓、特に好きでもない愛しい人たち、お元気ですか。

冷凍都市で出逢ったら

 闇金で借り入れたお金を握りしめ現れた錬金術師はその場にいた誰よりも笑顔で、マイナスから私のお別れ会を作り出す。3年前の夏の盛り、伊豆の山奥、従業員専用の喫煙所は岩場の陰に、それはまるでルルドの窟。墨汁を煮詰めたような労働環境で、15時過ぎにやってくる休憩時間に料理長と燻らせる赤マルが、唯一の楽しみだった。

 

 もう二度と会わない人のことを想いながら、一日が終わってゆく。4月末まで休業する美容室で坂本龍一にしてくださいと頼み、衿足に風を感じるようになった赤髪がくすぐったい。春の匂いを知る前に死を選んだ彼は、もう苦しんではいない。今年の私は湿る土から湧きあがる緩い風も、桜の花弁で薄桃色に染まる川もまだ見ていない。

 

 流行病は日常を撫でるように蝕んでいて、やらなければならないことはあるのにラーメンズのコントは台詞を覚えてしまった。卒業論文に向けて文献を読まないと、ヘブライ語を学ばないと、シンクの掃除をしないと、愛しい人にはきちんと想いを伝えないと。

 

 書は捨てない、町には出ない。

建国日記

 映画館での労働初日にして、私はそれほど映画が好きではないことに気がつく。新しくスタッフとなる人たちが次々と支配人をカルトの教祖みたく讃え、人生を変えた作品について言葉より先に熱を帯びた体験を舌先に滑らせながら語るのを眺めながら、ずっと家に帰りたかった。午前3時の狭くて暗いバーの、石油ストーブの暖かさがじんわり背中をなぞる一等席で、映画はチャーリーとチョコレート工場を息子と観たのが最後だと笑う彼が愛おしい。映画の話は日を跨いだ仄暗い部屋の隅で、好きな人とだけしていたい。

 

 どうして採用されたのだろうと答えの出ない考えの中で帰りしな、人に買ってもらった煙草を燻らせる。コインランドリーでうねりの中にいる黒い服たちを見ていたら、憎悪と陰鬱の塊のようで嫌になり全てを売り払った。真っ白い服に袖を通し、中指は何本あっても足りはしない。諦念とメメントモリと自尊心が混ざり合い、嫌な人たちに出会ってもみんな最後は骨になると笑っている。長らく投薬をしていた伯母の骨は珊瑚みたいに柔らかくて美しかったけれど、彼らの骨は何色だろう。わかりあえない人たちに心の中で鉈を振りあげる、空気を求めるガスガス汚い骨が隙間から覗いていた。

 

 禁煙はできていない、TOEFLの勉強も進んでいない、人と一緒に働きたくない、日がな本を読んで音楽に合わせて身体を揺らしたい、誰かの光になれるバーを開きたい。

 

 自堕落で低俗で強欲、だけれどスクワットは毎日続けていているからきっと大丈夫。