乳と蜜

柔らか巡礼

アフガンハウンドには情操教育を

  1人前120gの指示を疑うところから始めてみた。20時の簡易キッチンで茹でる蕎麦は、もしかしたら私には義務でしかないのかもしれない。(生きるために食べるの?食べるために生きるの?)結局90gにしてもお腹はかなり苦しくて、これまで掃き捨ててきた感情と手を繋ぎ、夜の路を歩く。

 

 商店街へと続く道に観葉植物を売る店がある。黄色みのかかった緑の上に覆い被さるそれよりも濃い緑、そしてそれを包む闇より深い緑、いつか植物に全てを呑まれそうな店。橙色のガラス越しに、八角蓮と目があった。

 

 商店街が怖い。その地で脈々と根を張る何世代もの凝縮した生の営み。流れ着いてこの地にやってきた、そしてまた数年のうちに出てゆく私。連なる店から喧騒が漏れだすたび、湧きあがる疎外感は足をアパートへと向かわせる。

 

 22時の暗がりで八角蓮は、葉の中央に溜まった水の玉を転がし笑う。以前より大きな鉢の中、ケラケラと。

 

 散歩からの帰りしな、この町で植物を育てようと決めた。