乳と蜜

柔らか巡礼

Y字路の鼓笛隊

 隣家では木琴の柔らかな音が浮き沈みを繰り返していた。もうこんな曲はやりたくない、と姿を見たことのない隣家の少女が力任せに鍵盤を叩いたのは3日前の昼下がり。彼女の曲のレパートリーが増えるたび、今のアパートへ越してきてから流れた月日の膨大さに目眩がしてくる。4年目の初夏、彼女は初めて自らの言葉を舌にのせた。木琴の音色は床に放たれた太い絨毯のロールのように、どこまでもどこまでも広がってゆく。ベランダにいる私は、これまでと同じように煙草に火をつける。

 

 やったところで罰せられるわけではないのに、私はもうおもちゃ屋の床と共謀してシルバニアファミリーの緑の家がほしいとは泣かないし、ショートケーキに巻かれたセロファンを挑発的に舐めたりもしない。Zoomで見知らぬ人たちの視線が一斉にこちらを射るのが怖くてそっとビデオカメラをオフにしたり、山椒を噛んでしまって気分が悪くなり一晩中遺書を書く癖に、他者からの評価に対しては22年間の信頼と実績で応えようとしている(中川家の"地方の中小企業のテレビCMの物真似"はかなり面白いし私がどうして彼らを今思い出したかわかるはず)。

 

 木琴を打ち鳴らす少女が、私の部屋のあらゆるものをめちゃくちゃに叩いてくれないかなと思いながらもう一本煙草を吸った。